優雅なスポーツ
私は、女性のスポーツで高級、優雅なものと聞かれた場合、バレエとことえるでしょう。バレエにも色々ご在ますがバレーボールではなく、バレエです。同じような言葉ですが、意味が全く異なります。
バレエとは、
踊りや身振りで感情を表現する舞踊。クラシック・バレエ、モダン・バレエがある。敗戦の翌年(一九四六年)、たち五人のダンサーが集まって東京バレエ団を結成。同年八月九日、帝国劇場で苛白鳥の湖』を初演し大成功をおさめた。このバレエ団は四年後に解散するが、戦争で途絶えかけていたバレエは、ともかくこうして息づきはじめた。一九五二年(昭和二七)、パリ・オペラ座から四人のダンサーがやって来て、妙技を披露する。それ以後、来日するバレエ団は引きもきらないが、それらを模倣しながらも、一方では、『夢殿』のような独創的な日本のバレエがつくられだし、バレエ界は活気づく。そして六四年あたりから、今度は日本側、が海外に乗り出していく。チヤイコアスキー記念東京バレエ団や森下洋子らがその好例だが、最近は国際コンクールで活躍する若手ダンサーたちが注目され、この例に加わりだした。日本のバレエ界も世界のなかに組み込まれた感じだが、二十数年前から話題になっている国立オペラ・バレエ劇場は、九O年(平成二〉現在まだできていない。
バレーボールとは、
中央にネットを張ったコートで二チームに分かれ、床面に触れずに三回以内で相手コー卜にボールを返しあう競技。排球ともいう。一八九五年アメリカのYMCA体育教師創案、一九O八年(明治四一)大森兵蔵によって日本へ紹介され、二二年(大正二)アメリカ人F・H・、ブラウンの指導で競技がおこなわれるようになった。当時は一六人制で、現在は九人制と六人制と二人制(ビーチ・パレ|)がある。学校体育の教材ということもあってそれまでは九人制が普及していたが、日本バレーボール協会が五一年(昭和二六)国際バレーボール連盟に加盟し、また五三年早稲田大学のアメリカ遠征を契機に、六人制への移行、が本格的にはじまった。とくに、大松博文率いる臼紡貝塚チームは六一年と六三年にヨーロッパ遠征をおこない、「東洋の魔女」という異名をとった。これは、外国人選手との対抗上開発された「回転レシーブ」の成果といえる。こうしたなかで、五七年と六三年のIOC総会でオリンピックの正式種目として採用され、初の世界選手権大会となった東京オリンピックでは、女子は金メダル、男子は銅メダルを獲得した。これにより、日本の代表的なスポーツとなった。なお、日紡貝塚チームは、六六年六月ヤシカチームに敗れるまで二五八連勝という記録を残した。東京オリンピックを契機に、日本バレーボール・リーグが創設され、バレーボール人口の底辺を広げるのに役立っている。とくに主婦層には健康増進も兼ねてきかんにおこなわれ、ママさんバレー全国大会(「家庭婦人バレーボール大会」、七O年創設)もあるほど底辺は広い。
そして、女性の優雅の遊びとして最近は、交際クラブなどがあげられます。